|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大帝 : [たいてい] 【名詞】 1. great emperor 2. .. the Great ・ 帝 : [みかど] 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence ・ 勇 : [ゆう] 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism ・ 勇気 : [ゆうき] 【名詞】 1. courage 2. bravery 3. valour 4. valor 5. nerve 6. boldness ・ 気 : [げ, き] 1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of ・ 未 : [ひつじ, み, いま(だ)] 【名詞】 1. not yet ・ 未来 : [みらい] 【名詞】 1. (1) the future (usually distant) 2. (2) future tense 3. (3) the world to come ・ 来 : [らい] 【名詞】 1. since (last month) 2. for (10 days) 3. next (year)
『ジャングル大帝』(ジャングルたいてい)は、手塚治虫の漫画およびそれを原作とした一連のアニメ作品。 英題は日本国内では''Jungle Emperor Leo''、日本国外では第1、第2シリーズから再編集劇場版までが''Jungle Emperor''、1989年のリメイク版および1997年の劇場版が''Kimba the White Lion''、2009年のテレビスペシャル版が''Jungle Taitei''。 == 概要 == アフリカのジャングルを舞台に、白ライオンのレオを中心とした一家三代とムーンライトストーンを巡って争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマである。 大阪在住の医学生時代は単行本の描き下ろしを中心として来た手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾った作品であり、学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年(昭和25年)11月号から1966年(昭和41年)4月号にかけて全43回を連載。本来は『密林大帝』として単行本で描き下ろす予定だったのが、上京して偶然訪れた学童社において加藤謙一編集長の奨めで連載することになった経緯を持つ〔手塚治虫『ぼくはマンガ家』大和書房、1979年、pp111-112. 〕。連載開始時は4ページ、第2回からは扉ページのついた10ページに拡大になり、連載中は最大で16ページになるなど「漫画少年」の看板作品として君臨〔清水勲『漫画少年と赤本マンガ 戦後マンガの誕生』ゾーオン社、1989年、pp105-106. 〕。以後の手塚は、単行本描き下ろしから、月刊漫画誌に仕事を切り替え、大学卒業後は漫画家に専念。1951年に『鉄腕アトム』を「少年」で連載を始めるまで、少年誌での手塚の代表的な仕事が本作である。4度にわたりアニメ化され、プロ野球球団(パリーグ)「西武ライオンズ」(現:埼玉西武ライオンズ)のマスコットに本作のキャラクターが採用されたことで、世代を越えた認知度を持つ。手塚は本作が連載後に日本公開されたアニメーション映画『バンビ』を百回くらい見たと語り、その影響で生きるための苦しさを描こうと、初めはハッピーエンドにする予定だったが予定を変え悲劇にしたと語っている〔手塚治虫『手塚治虫 ぼくのマンガ道』新日本出版社、2008年、pp.18-19。初出は手塚治虫『手塚漫画の主人公たち』 第4話「ジャングル大帝」(『赤旗』1974年1月12日付)〕(バンビの終わり方自体はハッピーエンドだがジャングル大帝ではあえて逆のバッドエンドにした)。後にディズニー本家がアニメ版『ジャングル大帝』で育ったクリエイターによりアニメ映画『ライオン・キング』(1994年公開)が制作されたのではないかと指摘されたことでも知られる。 「白いライオン(ホワイトライオン)」というアイディアは、手塚がかつて動物の絵本を依頼された際にライオンの絵を白熱灯の下で彩色したところ、黄色を塗るつもりが電灯の黄色い光のために白と黄の絵の具を間違えて塗り、出来上がってみると白いライオンになって没になった失敗談が発端という〔手塚治虫『手塚治虫漫画全集399 手塚治虫のマンガの描き方』講談社、1997年、p228〕。ジャングルを舞台とする趣向は、手塚が少年だった1930年代初めにターザン映画などを代表とする秘境冒険映画、猛獣映画など人気を呼んだアメリカ映画の影響が指摘されている。具体的には、レオの父親パンジャの名前は1934年の『パンジャ』という猛獣狩り映画、設定は1933年の『密林の王者』などとする説がある〔石上三登志「手塚少年と幻の戦前映画」『誕生!手塚治虫』霜月たかなか編、朝日ソノラマ、1998年。〕〔桜井哲夫『手塚治虫 時代と切り結ぶ表現者』講談社現代新書、1990年、p83。〕。第二次世界大戦後の1950年代の日本では再びターザン映画が封切られており、その当時の日本の子供向け漫画や絵物語では、ターザンものやジャングルものは最もポピュラーなジャンルの1つであった〔清水勲『「漫画少年」と赤本マンガ 戦後マンガの誕生』ゾーオン社、1989年、pp76-78. 〕〔米沢嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』平凡社新書、2002年、pp17-18〕(例えば山川惣治の『少年ケニヤ』(1951-1955,産業経済新聞連載)がターザン的な絵物語の例である)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャングル大帝」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kimba the White Lion 」があります。 スポンサード リンク
|